東日本大震災の時も、未曾有の災害を前に政府は無力だった。それでも、事の重大さを目の当たりにして、誰もが必死だった。 各々が、寝る間を惜しんで自分にできることを自らやった。不便さも、すすんで引き受けた。
あの大災害の影響を何も受けなかった国民は誰一人として居なかっただろう。誰もがみな被害者だった。役人も、被害者でありながら寝ずに用務に当たった。
官民が苦しみを共有して、一体となって困難に立ち向かった。だから、政府に不満を漏らすものも、殆ど居なかった。
今はどうだろうか。
言わずもがなである。
組織の長は、その下に抱える者全ての命を預かり、全体の運営における最も重要な意思決定を行うために、そこに座っている。
そのために、優秀な部下を身の回りに置き、現状を把握させ、分析させ、そのデータに基づいて、その重要な意思決定を、迅速且つ的確に行う。
つまり、その優秀な部下たちが、その組織運営の鍵を握っている。
そして、その優秀な部下たちは、何が何でもその長を支えようとする。何故なら、その長が信頼を失えば、その組織は機能を失うことになるからである。少なくとも、その長が恥をさらすようなことにならぬよう、細心の注意をはらう。
だから通常なら、首相が国民の面前で恥をさらすようなことにはならない。通常なら、部下たちがそのようなことは絶対にさせないはずなのだ。
しかしそれも、その長と部下たちとの間に一定の信頼関係があってのことであろう。
首相は、これまでやりたい放題やって来た。通常ならあり得ない不適切な行動に対して、その優秀な部下たちは必死にそれを抑えてきた。そして、その度に、尻拭いをさんざんやらされ、ついには、その一人が命を絶った。
その優秀な部下たちには、その厚顔さに呆れて、首相を見放したのではないだろうか。
見放したとまで言わなくとも、何とかもり立てようとは思えなくなってしまった。そしてこの国は、国としての機能を失ってしまった。そんな気がしてならない。
心理学の用語で、機能不全家族という言葉があった。それは、家族としての機能を失い、子供たちが必要な養育を受けられない状態を指す。子供たちはそんな中でも必死に生き残ろうとする。
今のこの国にぴたりと重なる。