不要不急

 

 不要不急という言葉は、私の職場ではわりと一般的だった。そしてこれまで、何ですかそれとよく聞かれ、その度に喫緊の必要性が無いことと答えていた。

 普通に生活していたら、なかなか登場する機会の無かったのこの言葉が、今や世の中でも一般的になった。

 そして、不要不急の外出を自粛した結果、命を守ること、働くこと、食べること、極身の回りの雑事もろもろ、それら以外の多くの経済活動が停止してしまった。

 そして、それら以外のことは不要不急だったのかと、多くの人々は気づいてしまったのではないだろうか。

 昔の人々はこんな暮らしぶりだったのかなと、つい想像してしまった。もちろん今のように便利な世の中ではなかったから、それだけでも相当な時間と労力を要したことだろう。

 でも、本来はそれで十分なのかもしれない。あれをしなきゃ、これをしなきゃと急き立てられることもなく、もっと働け、もっと消費しろと、人間が勝手に作ったシステムに踊らされることもなく、ゆっくりした時間と、今とは比較にならないほどの寛容さの中で、生きている実感を感じながら、のびのびと生活していたのではないだろうか。

 当時は悪代官こそ居たかもしれないが、自分のことしか考えられない姑息な人間が世の中を動かしているのは今も変わりはない。むしろ悪代官の方が分かりやすくて救いようがある。

 私たちは、本当に必要なことはそっちのけで、然して必要でもないことばかりにせっせと励んできたのではないだろうか。

 家に居る時間より、外出、外食、外泊が本当に贅沢だったのだろうか。

 日々の暮らしが窮屈過ぎるから、旅行に行きたくなるんじゃないだろうか。そして、家族を旅行にさえ連れていってやれないと、自分を責めていたのではないだろうか。

 おそらく、コロナ以前の生活に戻ることはないだろう。ならば、コトの本質を見つめて、何が大切にかを見極める。足元を見直す良い機会かもしれない。