ある新聞社が行った世論調査の結果を見て驚いた、というより、愕然としてしまった。
それによると、内閣の支持率が27%で、加計森友以来の低水準だそうである。
国家公務員が職務上で作成する行政文書は厳格に管理されている。その保存期間も種類ごとに厳格に定められていて、基本的に、それが有るとか無いとかいう騒ぎにはならない。そして、それが保存期限を待たずに廃棄されたとなれば大問題だが、故意でなければ部内の処分で済む話かもしれない。
しかし、公文書偽造となれば別次元の話である。そして、その偽造が何のために、誰のためにされたのかは火を見るより明らかだった。
一般職の公務員は、国家公務員法や国家公務員倫理法、そして省庁ごとの倫理規則によって公私に渡ってがんじがらめにされている。今や、独立したかつての同僚と自由に食事もできないほど、その行動は厳しく制約を受けている。不法行為に及べば何重にも裁きを受け、将来を棒に降ることになる。
そんな彼らが、それらの法律に全く縛られない特別職である首相の、公私混同も甚だしい言動に対する尻拭いのために、リスクでしかない不法行為に自ら手を染めることなど絶対にあり得ないのだ。
それを誰かにやらされた多くの財務省関係者は、言わば実行犯として定職などの処分を受けた。そして、不法行為を強要され、良心の呵責に苛まれ、捜査の追ってに精神を病み、赤木さんは自らの命を絶った。
あれほどの大事件でありながら、結果として誰一人として刑事責任を問われることはなかった。財務省関係者もある意味被害者だからというこだろうか。それとも、それ以上責任を追求すれば、その誰かに捜査の手を伸ばさざるを得なくなるからであろうか。国家賠償責任さえ追求されないまま事は済んでしまった。この国に、もはや正義など無いのだろう。
普通に考えれば、そこで終わりだろう。
しかし、首相はのうのうとその椅子に座り続けた。この国では、そんなことがまかり通ってしまうのだ。その当時の内閣支持率が26%だったそうである。実に1/4以上の国民が、それでも内閣を支持していたのだ。
この国は、いったいどれだけ国民をバカにすれば気が済むのだろうか。
この国の国民は、いったいどれだけ国にバカにされれば気がつくのだろうか。
新型コロナにおける政府の対応は、何もやっていないに等しかった。そして、全て終わってからやろうとしたって無駄なのだ。
検察庁法改正案に対する国民の怒りは、加計森友から燻っていたものに火が着いたに違いない。その法案が、何故、今、誰のために、何のために必要なのか、きちんとした理由を説明できる者は居ないだろう。そんなものは無いのだから。
法相の進退伺いに対して、首相は自分に責任があるからと慰留したそうである。
そんなことは誰でも分かっている。
法相は、あなたの責任で矢面に立たされることに耐えられないから辞めたいと言っているのだと想像するが、違うだろうか。
加計森友ほどの事件で誰も処罰されなくても、賭け麻雀では刑事告発する。その組織から出た者に対する容赦の無さは流石である。巨悪に立ち向かわないのが検察なのだとあらためて理解した。
政府絡みの映像がテレビに流れる度に、スイッチを消したくなる。
それでも、これからやってくる大変な時代に備えて、そこに目を背けてはならないのだろう。