政治家ではなく政治屋

 

 武道家、書道家、華道家、芸術家、画家、彫刻家、建築家、落語家等々、日本には末尾に家が付く肩書又は職業がある。

 それは、何らかの道や術を極め、それを生業にしている個人を指す称号のようだ。

 その方々は、凡人には到達できない高みに立つ者として人々に尊敬され、また、人々に感動や豊かさを与えている。

 そして多くの場合、そのような人物であると多くの他者が認めた場合に限り、その他者達から自ずと与える称号なのではないだろうか。

 そもそも、その道や術の極みも、全ては他者あってのものである。

 それを承知している本物の○○家は、決して自らを○○家とは呼ばない。多くの場合、○○で食べさせてもらっていると、他者に対する有り難みを決して忘れない。

 

 政治家という言葉がある。

 これまで私も日常的に使っていたが、その末尾の「家」に違和感を感じてもやもやしていた。特に、人々の上に立つ資格の無い者を指す場合に。

 その者は、何らかの道を極めた者では全く無い。人々に感動や豊かさを与えるどころか、むしろその逆である。そして何よりも、私はその人物を尊敬しているどころか、軽蔑さえ覚えている。

 それにもかかわらず、それらの人達を政治家と呼ぶことに対して、私は違和感を感じていたのだ。

 

 代議士は、そのまま代議士でいい。

 自らを政治家と呼ぶなどもっての他だと思うが、どうしてもそうしたければ政治屋とでも呼んだ方が的を得ている。

 人のふんどしで相撲を取り、失敗したら辞めれば済むのだから、そもそも政治に道など無いのではなかろうか。

 しかし、政治には、人々の暮らしを豊かにする力がある。そのために、政治にしかできないことも沢山あるのは事実だ。その究極の 目的を達成するための術を磨き、それを極めんとする者に対してのみ、惜しみ無く政治家と呼ぶことにしようと思う。