人と人間

 動物と深く関わったことがある人なら誰もが知っていると思うが、動物にも、感情や欲求がある。
 小鳥でさえ、触れ合いを求めたり、甘えさえする。

 感情や欲求は、後天的に与えられるものではなく、命を繋ぐために予め備わっているもの。
 つまり、本能なのである。

 それは人も全く同じだ。

 動物は、決して本能に逆らうことなく、本能の命ずるままに行動し、命を繋ぎ、その使命を全うして死んでゆく。
 
 人はどうだろうか。

 人は、自分の意思によって本能に逆らい、どうするべきかを自分で考え、判断し、その結果に従って主体的に行動することも、できる。

 恐らくそれだけは、他の動物にはできない。

 人の意識は、確固たる自分を確立することによって自他に分離する。そして、それによって思考する主体と意思を獲得する。
 人は、そうなることによってはじめて、主体的、能動的に行動することができるようになる。

 また、自分を自分として認識することによってはじめて意識の中に他者が現れ、他者自身の置かれている立場や、他者自身の都合を想像し、それを考慮した上で物事を判断することができるようになる。

 そのとき、人の意識は自分と他者の間にあり、そこから自分と他者を見渡しながら、双方にとっての最善を考えている。

 それが、人間の「人間」たる所以ではないだろうか。

 人と人との間を生きることによって、人は「人間」となる。

 「human」を「人間」とした昔の日本人、恐るべしである。