久米さんが伝えたかったこと

 

 TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」が、令和2年6月27日の放送をもって幕を閉じた。

 最後の放送は、いつにも増していつも通りの内容に終始した。

 そして最後にポツリと「これで終わりではない、いつかまた」という言葉で静かに締め括られた。

 結局久米さんは、番組を終える理由について多くを語らなかった。

 14年も続けてきたのだから、思うところは語り尽くせないほどあったに違いない。

 おそらく、語るべきではないと判断してのことだと思うが、隠しきれない思いが言葉の端々から伝わってくる。

 今度は久米さんの思いを、私たちが代弁する番だろう。

 

 伊集院光さんとの対談の冒頭で、久米さんは「草鞋」と言い、草鞋を履くことの意味を尋ねたが、誰も答えられなかった。

 そして話は移り、自分をヤクザ映画に見るチンピラだと評した。

 自分は主役を張る大物ではなく、画面の片隅で騒ぎ立て、余計なことをしでかしてはあっという間に殺されてしまうチンピラに自分をなぞらえた。

 チンピラが虚勢を張るのは、本当はとても繊細で弱いからだろう。弱くて繊細だから堂々としていることができず、騒ぎたてたり相手を威嚇する。

 自分を支えていたのはチンピラ精神であると語る久米さんは、主役ではないが無くてはならない、本当はとても弱く繊細で、体を張って犬死にしてゆくチンピラに共感を覚えたのではないだろうか。

 繊細でなければ、自分の立ち位置を常に確認しつつ、物事を多角的に捉え、その本質を浮き彫りにすることはできない。他者に思いを馳せることも、周囲に対する気遣いも、繊細さがあってこそ成せることなのだ。

 そして、本当は弱かったから、それでも人前に立ち続けるために、誰にも負けない理論武装を纏った違いない。正論を振りかざし、常にぎりぎりを(時にそれを超えて)攻めようとする姿勢は、それ無くしては成しえまい。刺し違えても構わないと言わんばかりの覚悟もチンピラと重なる。

 

 半世紀以上もマスコミに身を置いてきた久米さんは、その構造上の欠陥や功罪について熟知している。決して見過ごしてはならない重大な事実が握り潰され、捻じ曲げられ、故意に過小評価されている事実に幾度となく直面したであろうし、マスコミの中に居ながら、そこに身を置いている限り伝えることができないというジレンマを抱き続けてきたのではないだろうか。

 誰よりもそれに危機感を抱き、自分の発信力の高さを十分過ぎるほど理解していた久米さんは、気づいてしまった者の宿命から、それを伝えない訳にはいられなかった。そして、まだ自由度の高かったラジオ番組を通じて、ユーモアを交えながら、それを実現しようとしたのではないだろうか。

 そして、多くのリスナーにとってこの番組は、公共の電波で誰も伝えようとしない(伝えられない)真実を知る場であり、自分が感じていたこと、考えていたことが正しかったことを再確認し、何の発信力も無い自分に代わって代弁してもらう場となっていった。

 久米さんは、業界のタブーを無視して、おかしいことをおかしいと言い続けた。

 久米さんが真実を伝え、おかしいことをおかしいと言えば言うほど聴取率は増え、そして同時に、スポンサーは去っていった。

 TBSにとって、それは有難いことでは無かった。

 久米さんにとってTBSは、退社したとは言え我が家も同然だった。TBSにとっても、大先輩であり、一時代を築いた久米さんは特別な存在だった。だから多少の我儘も許された。

 しかし、ここまで番組の影響力が強くなると、そうもゆかなくなった。

 そして、双方話し合いの末、久米さんは、自ら草鞋を履いたのだ。

 

 「草鞋を履くとは、罪を(タブーを)犯した者が、同居する者に迷惑をかけぬよう、静かに旅立つことを意味している。

 それに気付いてしまったとき、久米さんの無念さがひしひしと伝わって、やりきれない気持ちになってしまった。

 

 これまで自分を育ててくれたTBSに対して恩義を感じているはずの久米さんが、それに対して何かを語ることができただろうか。

 だから久米さんは黙して語らなかった。語れるはずがなかったのだ。

 番組を終了することが本意では無かったから、最後の放送を特別な設えにしなかった。

 ただ、冒頭の12分間は、かつてTBS本社のあった場所から名残を惜しんだ。

 そして最後に再会を誓ったのだ。

 

 余力を残して自ら身を引くのはチンピラ精神に反する。

 刺し違えても構わないのがチンピラの美学だろう。

 

 久米宏は、まだ終わっちゃいないのだ。