自分との戦い。
スポーツ選手たちの口から、よくこのような言葉か聞かれる。
まるで、もう一人の「自分」が存在するかのような言いぶりであるが、まさにその通りなのだ。
その選手の心の中には、 確かに、もう一人の「自分」が存在している。
その、もう一人の「自分」は、その選手が、自分自身の体を過度に追い込もうとしたり、命を落としかねない領域に踏み込もうとするときに、それを強く抑制しようとする。
それは、自分自身の命を守るために予め備わっている強力な心の働き。
つまり、本能なのだ。
スポーツ選手たちは、その心の働きを、もう一人の弱い「自分」と捉え、それに打ち勝とうとする。
そして、それに打ち勝つことによって更に自分を追い込み、凡人には到底到達できない能力を手にする。
その追い込みが限界を超えてしまえば、本当に命を落としてしまうことさえある。
アスリートたちは、まさに命を削って頂点を目指しているのである。
もし、そのアスリートの意識が体と一体だったら、ただ、苦しい、恐ろしいと感じるだけで、決してそれに抗うことはできないだろう。
そのアスリートの意識は自分の体を離れ、本能によって守られようとしている自分自身を客観視することができるから、それに打ち勝ち、それを制し、それを褒めてやることさえできるのだ。
人間だけが、自らの意思をもって本能に抗うことにより、成長を成し遂げることができるのである。
自分はというと、弱い自分に負けっぱなしである。
でも、その自分は弱いのではなく本能なのだからと、自分に言い訳をする。
だから、いつになってもタイムが縮まらないのだ。