相手の立場に立ちなさいと、まだ若い頃によく言われた。
当時はまだ、その意味が全く理解できなかった。
分からなすぎて、聞き流すしかなかった。
自分に置き換えてみなさいと、ある先生が教えてくれた。
自分だったらどう思うか。
自分がそうされたらどう感じるか。
自分がされて困るなら、しない。
自分がされて嬉しいなら、してあげる。
それなら自分にも理解できた。
それで、大抵のコトは上手く運んだ。
でも、上手くいかないこともあった。
そして大人になって、気づいてしまった。
その考えの中に、相手は何処にも登場しないではないかと。
私は、自分の気持ちをただ確認し、それを一方的に相手に押し付けていただけだったのだ。
愕然とする。
それでも、何も考えないよりマシだったかもしれないと思うことにする。
そして、当時の自分なりの精一杯だったと、自分を労ってやる。
本当の意味で相手の立場に立つとは、言うほど簡単なことではないし、誰でも出来る訳ではない。
自分自身が、そうなれる状態にあってはじめて、相手自身の立場に立つことができるのだ。
私たちがまだ子供のうちは、自分だけの意識の中で、自分の都合だけで生きている。
まだ、目の前の他者を「他者」として認識することができないからだ。
やがて、確固とした「自分」を確立することによって意識の中に「他者」が現れ、そこではじめて他者を「他者」として認識する。
そして、他者自身の置かれている立場や、他者自身から見た景色を、想像する。
他者自身に成り代わり、想いを馳せる。
相手の立場に立つとは、自分が相手の立場に立つことではなく、相手自身の立場に立つことに他ならない。
それを子供に要求するのは酷だ。
だからきっと、先生は易しい方を教えてくれたのだ。