働き方改革とは


 ここ数年の間に、「働き方改革」、「ワークライフバランス」、そんな言葉が蔓延するようになった。


 私の所属する組織もご多分に漏れず、その本当の意味が理解されないまま言葉だけが独り歩きをしている。


 仕事を取り巻く環境は何も変わらない。

 到底一人ではこなし切れない量の仕事を常に抱え、毎日総務に頼んで残業させてもらい、有給休暇など取ろうものなら自分の首を絞めることになるから、殆ど捨てる。相変わらず、そんな状況が続いていた。


 それもあってか(勿論それだけではないが)、見渡せば、各部所に心を壊している職員が一人や二人は居るのが当たり前になった。


 私もそれなりに壊れかけた。


 そして、かわいい後輩が自ら命を絶つことを、止めてやれなかった。

 

 そんなことが、もはや珍しく無くなってしまった。


 組織側は、それを本当に憂慮してなのか、優良な職場環境の醸成に努めていますよと言うポーズなのか(後者に違いないが)、唐突かつしきりに「働き方改革」「ワークライフバランス」という言葉を掲げ出した。


 その中身はと言うと、


 基本、残業はするな。

 有給休暇の半強制的な消化。

 男性職員の育児休暇の原則取得。   

 などなど。

 そして通常なら、それと抱き合わせで、事務量や配置人員の見直し、欠員に応じた補充どが行われて然るべきだと思うが、そんなものは無い。

 まいどお馴染みの「あとはそっちで何とかしろ」である。


 有給休暇や育児休暇を取得する職員は当然増えた。(半ば強制的に休まされるのだから)

 しかし、仕事は減らず、人も増えず、残業もできない。

 職員一人一人に課せられる負担は、当然増えた。そして、職場にほんの少しだけ残されていた細やかな余裕が無くなり、ギスギスするようになった。

 

 育児休暇の取得を勧めながら、心の中では「マジかよ」と舌を打つ。

 ただでさえ余裕が無いのに、有給休暇を取得している職員の仕事を振られ、「ふざけんなよ」と顔がひきつる。

 何処其処の誰某が亡くなったの、あれ自殺らしいよ。「ふぅ~ん」。


 そして組織側から、ワークライフバランスについて、どのような取り組みをしているのか報告するよう指示があり、プチキレた。


 ギリギリまで無駄を省き、効率化を図ってなお時間が足りないから早出残業して職場を回してきたのに、これ以上何をしろと言うのだろうか。


 雇われている職員にできることなど、たかが知れているのだ。


 仕事に追われ、過労で心身を壊してしまう職員が後を絶たないのは、その職員の選択が間違っていたからではなく、選択の余地など無く、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまったからなのだ。


 ワークライフバランスは、雇われる側が、仕事と私生活のバランスを自分で考えろというものでは、決してない。


 そんなことは、わざわざ仰って頂かなくとも誰もが常に意識している。何故ならそれは、その人の生き方を左右する最大の関心事に違いないからだ。


 ワークライフバランスとは、働き方の多様性を認め、それに対して正当な評価をし、然るべきところに然るべき対価を支払う。そうすることが、雇う側、雇われる側、双方にとって有益なのである。だから、そのような仕組みを考えたらどうかという、雇う側に対する一つの提案なのだ。


 画一的に、半ば強制的に休暇を取らせ、そうするためにどうしたらよいかを自分達で勝手に考えろ。そしてそれを報告せよとは、それはいったい、誰のための、何のための作業なのか。


 勘違いも甚だしい。


 職員は、決してロボットではない。

 一人一人が様々な事情を抱えている、生身の人間なのだ。

 その個々の事情に応じた様々な働き方が認められ、それは正当に評価されるべきなのだ。

 そして中には、その仕事に使命を感じ、制限無くバリバリとキャリアを積みたいという職員が居たっていい。

 むしろ殆どの場合、そのような者が組織を牽引してきたのが現実なのだ。


 それらは、特別なことでも、目新しいものでも何でもなく、歪んだ現状を、当たり前の状態に戻そうとしているだけなのだ。


 それは、決して働き方改革ではなく、「雇い方改革」なのである。