多くの人は、何らかの組織に属している。
組織に属する人の多くは、組織に属することの意味を理解しないまま行動している。
組織もまた、それを徹底できないでいる。
その結果、社会がとてもおかしなことになっている。
組織の長から末端の職員に至るまで、おかしな状態がまかり通っている。
組織の意思決定に、その理念や使命に反した個人的な意思や感情が持ち込まれるようなことがあってはならない。
何故なら、それは、ある特定の個人の私利や満足のために組織が利用される、つまり組織が私物化されることになるからである。
組織が私物化されることによって、その存在意義が歪められたり、組織が何らかの損失を負い、他者に損失を与えることになりかねないからである。
しかし、そのようなことが問題視されることは少ない。
中小の同族会社に限らず、巨大組織や大企業でも、組織の私物化は頻繁に、しかも公然と行われている。
その最たる例が人事だろう。
人事は組織の根幹である。組織にとって人こそ宝なのだ。
そして、その根幹の大部分を担っているのが管理職である。
組織の中の圧倒的多数である従業員の人事は、直属の管理職の評価によって決まる。
だから管理職には、人を見る目と、客観的かつ公正な評価を行い、それを徹底する自制心が求められる。
管理職は、部下の能力や将来性を見極め、その部下が組織にとって重要な人材であると客観的に判断したならば、例え個人的には気に入らなかったとしても、正当に評価し、然るべきポストへ推すことができなければならない。
しかし、管理職が人事に個人的な好き嫌いや感情を持ち込むことは多い。
それは組織を私物化することに他ならならず、その管理職の個人的な満足のために、組織は多大な損失を被ることになるのである。
管理職は、その部所の職務上の全責任を負い、部下の人生をも背負っていることを真に認識し、それに耐えることができなければならない。
いったいどれだけの管理職が、それを本当に認識したうえで、その島の上座に座っているのだろうか。
私の経験では、その資格があったのは、ほんの一握りだった。
そして、その資格の無い管理職の個人的な好き嫌いによって、パワハラは行われる。
たったそれだけの理由で、組織にとって大切な宝は潰されてしまう。
たったそれだけの理由で、それまでの短い人生の多くをかけて難関を突破し、希望と期待を胸に入社した一人の人間の長い長い将来は踏みにじられ、時には命さえ奪われてしまう。
パワハラは、大人になり損ねた者が権限を持ってしまったことによって引き起こされる、決して行われてはならないタチの悪い大人のいじめなのだ。
いじめは子供だけの問題ではない。
いじめは大人の社会でも行われている。
いじめが、弱い人間が、自分を守ろうとする防衛本能から来ているならば、残念ながら、それが無くなることはないだろう。
役員や管理職にとどまらず、雇われる側である職員も、その組織の一員として職務に従事するにあたっては、その組織の意思に従って行動する必要がある。
個人的に何がしたいか、何がしたくないかに関係なく、組織の使命や目的を達成するために、するべきことをしなければならない。
そこに、組織の意思に反する個人的な感情や好き嫌いを持ち込んではならないのだ。
仕事で、利害関係が対立する組織にお邪魔することがよくある。
個人的には気が進まないが、職務だから行かなければならない。そして、私個人としてではなく組織の一員として出向く以上、例え一職員であっても組織を代表しているからには、相手方を尊重し、沈着冷静かつ紳士的に振舞わなければならない。
また、相手方の職員の対応が個人的に気に入らなくても、その職員と私個人との間に利害関係は一切無いのだから、そこに私情を挟む必要性も全く無い。
私は、組織の一員として、組織の意思に従って、淡々と職務を遂行するだけなのだ。
しかし、相手方の職員が明らさまに不快感を示し、何かと突っかかってくることが時々ある。
最前線に立っている職員の対応によって、その組織のレベルが分かってしまう。どんなに有名で大きく立派な組織でも、がっかりしてしまうことはよくある。
そのときは私は、個人的には「いい歳して何も分かってねぇな」などと心の中で思いつつ、そう思っていることなどおくびにも出さずに、自分の立場と相手自身の立場を理解して頂く(分からせる)ために、次のような趣旨のことを伝えるようにしている。
「私は組織を代表してお邪魔している。あなたもそうではないのか。あなたの私に対する対応は、弊社に対する御社の意思であると私は受け取る。それでもよろしいか。それが御社の本意でないなら冷静な対応をお願いしたい。」
大概の職員は、ここで争うことが不毛であることと、個人的な感情を職務に持ち込むことによって組織に不利益を与えかねないことに気付いてくれる。
それでも分かってくれない場合は、私はあなた個人に用は無いことと、組織の人に代わってもらうように求めることとなる。
組織に属する全ての者に言えることは、一人ひとりがその組織を代表しているという自覚と、個人的な意思や感情に関係なく、その組織の意思に基づいて行動しなければならないということである。
なぜなら、その組織の一員は、組織の意思を逸脱して行動することによって何らかのトラブルに巻き込まれ、また、他者に不利益を与えるようなことがあった場合、それついて何ら責任を負うことができないからである。
組織が他者に与えた損害は、組織としてしか償えない。
その組織の一員が責任を感じて職を辞したとしても、その相手方に償うことには全くならないのである。
それは、ある組織の一職員であっても、この国の長であっても、全く同じことなのだ。
だから、「私の全責任において云々」といった国会議員の発言など無意味なのだ。
国民に対して何の責任もとれないのだから、せめてちゃんとやってほしいものである。
組織に属してい以上、個人としての自分と、組織の一員としての自分を明確に区分し、職務であるなら、あくまでも後者として、その意思に従って行動する必要がある。
組織に属するとは、つまりそう言うことなのだ。
全てを自分で決め、決めたことについての全責任を引き受けながら生きたい者に、それは耐えられないことかもしれない。
それが嫌なら辞めればいい。
それだけのことなのだ。