いつだったか、夜遅めの時間の、人も疎らなある商業施設のフードコートでの出来事だった。
私はそこで遅めの食事をとった後、音楽を聴きながらパソコンを開いて作業をしていた。
すると突然、目の前に二人の中年女性が現れた。
私はイヤホンをしていたため、気配に気づかずびっくりしてしまった。おそらく目を丸くしていたと思う。
私はイヤホンを取り、訝しげに何か用かと尋ねた。
するとその二人は、驚かせて申し訳ないでもなく、少し時間をいいかと承諾を得ようとするでもなく、タブロイド紙ほどのサイズの紙面を見せながら、いきなり話し始めた。
何やらすばらしい考えの人がいて、私たちはそれに感銘を受けたから、その考えを知ってほしいらしい。
私は、間に合っていると言って断った。
なおしつこく言ってくるので、私は自分の考えを持っているから必要無いことを告げた。そして、あなたは自分の考えが無いから、他者の考えにすがっているのではないかと言いかけて、言っても無駄なことに気づいて飲み込んだ。
読むだけも読んでほしいとその紙面を置いてゆこうとしたので、読まないから要らないと断った。
新興宗教の勧誘だろう。
その、全く相手方の都合を考えようともしない人が感銘を受けた考えなど、聞くつもりはさらさら無い。
夜のフードコートは訳あり風な人も多いから、人の弱みに付け込むには絶好の場所だろう。そう考えたら、そんな姑息な手段を使ってでも布教しようとしていることに、気味が悪すぎてぞっとした。
そして、そのすばらしい考えに感銘を受け、夜な夜なそのフードコートで見知らぬ人々を勧誘しているあなた達を見て、いったい誰がそうなりたいと思うだろうか。
そんなにすばらしい考えならば、そんなところでこそこそと弱っている者を狙うようなやり方をせずとも、自ずと広がってゆくはずだろう。
宗教には、人を盲目にしてしまう危うさがある。
そして、他者の立場を想像できない者は、自分が他者からどのように見えているのかも想像できないのだと、あらためて思う。
そういえば、よく駅の周辺でも新興宗教の布教活動が行われている。
小冊子を胸元に掲げて、寒空の中でじっと立っている人。
お経のようなものを唱え続ける人。
その姿を見る度に、その人たちは幸せなのだろうかと考えてしまう。
それが、その人たちにとって幸せなのだとしても、だれがそのようになりたいと思うだろうか。
新興宗教に限らず、世界には幾つかのメジャーな宗教が存在する。
そして、その考えの違いによって過去に戦争が行われ、現在においても争いが絶えない現実を踏まえると、宗教とはいったい何なのだろうかと首を傾げたくなる。
もし自分が誰かに殺されそうになったら、私はその誰かを殺そうとするだろう。
もし自分の命より大切な家族を殺されたら、私は如何なる罰を受けることになっても、その犯人を殺したいと思うだろう。
しかし、如何なる複雑な経緯があるとしても、如何なる宗教上の理由があるにしても、それを理由に人を殺していいはずはない。
人は、弱く、醜く、不完全な生き物である。
人は、本能を剥き出しにして生きることを、過ちだと感じるようになってい行った。
やがて、その弱さや醜さを剥き出しにすることを良しとせず、万人が尊重されるべき存在であることに気づいた者が現れ、その考えを世に広めた。
または、そもそも人間が身体をもって生きること自体が一時的な状態であることに気づき、その不自由さから人々を救おうとする者が現れ、その考えを世に広めた。
その者を、人は主と崇め、仏と呼んだ。
しかし、その主や仏も、もとはと言えば不完全な人間なのである。
不完全だからこそ、不完全であることに気づき、気づいたことによって自分が救われた。そして、自分が気づいてしまったからには、そうではない者たちを救わなければならなかった。そのようにして宗教は広がっていったのではないだろうか。
つまり宗教は、人が欲求や感情に振り回されることによって自分や他者を貶めることから救うために、どうしたいかではなく、どうすべきか、どう在るべきかを説いたものだと言えるかもしれない。
しかし、自分を救うものが自分以外の何処かにあるならば、救いを求めている人は、それに出会うまで探し続けなければならないだろう。そして運よくそれに出会えたとしても、それにすがりついていなければならない。
既存の宗教の危うさはそこにあると感じる。
誰かの教えに、ただ盲目的に従ってしまうことこそ危険なのだ。
自分を救ってくれたその教えに必死にしがみついてしまえば、その教えに反するものを排除することが正当化されてしまうだろう。
私たちは、そうやって過ちを繰り返してきたことを忘れてはならない。
その教えを説いた誰かもまた、不完全な、たかが人間なのだ。
宗教とは、自分に気づきを与えてくれるもの。それくらいの距離感で向き合うのが丁度良いのではないだろうか。その善意的な宗教を司る方々も、そう願っているに違いない。
自分を救うもの、自分の在るべき指針、つまり宗教は、決して自分以外のどこかに求めるものではないだろう。
剥き出しの自分を制するのは、もう一人の自分しか居ないのだ。
そして、大人である以上、その行動の結果に対する責任は自分で引き受けなければならない。
そうであるなら、自分がどうすべきか、自分はどう在るべきかは、あくまでも自分で考え、自分で決めるべきだろう。
そして、何かを考えるためには、その目的や到達点が見えていなければならない。
自分は何者なのか、自分は誰のために、何のために生きるのか。
人間だからこそ抱えることとなった苦悩から自分を救う何かは、他でもない自分の中にこそあるのだ。
昨年、親父が亡くなった。
私がまだ小学生の1年生くらいだっただろうか、家で仕事をしていた親父に遊んで欲しいとせがんで、親父が手に持っていた大きなアクリル製の三角定規で頭を一撃にされ、血だらけになった。
それ以来、私から親父に遊びをせがむことは無かった。
親父から遊びを持ち掛けてくることもなかった。
だから私には、親父に遊んでもらった記憶が全く無い。
私は、そんな親父が嫌いだった。
だから、会話も殆どなかった。
親父に触れたことさえ無かった。
そんな親父が死んだ。
病院の霊安室で横たわる親父の肌に、私は躊躇なく触れた。
親父の体は、まだ暖かかった。
私は、まだ暖かな親父の肌に、ずっと触れていた。
絶対泣かないと思っていたのに、泣いた。
生きている間は、触りたいと思ったことなど一度も無かった。
むしろ触りたくもなかった。
しかし私は、本当は親父に触れたかったのだと、そのときはじめて自分の気持ちに気づいた。
高校野球の県予選で、新聞社の方が撮ってくれた自分の写真の背景に、スタンドで観戦する親父の姿があった。自分にしか分からないほど小さくしかもボケていたが、それは間違いなく親父だった。そんなことを思い出して、本当は嬉しかったのだと、その時はじめて気づいた。
それでも私は、死ななければ、決して親父に触れることは無かっただろう。
死んではじめて、私は親父に触れることができたのだ。
人間とは、何と不自由な生き物なのだろうと、思わずにはいられなかった。
そして私は、その慌ただしい一連の儀式を経ることによって、いつの間にか親父の死を受け入れ、心の整理ができていたことに気づいた。
人は、死んでしまえばそれでお終いだが、残された者の人生は、もう少し続く。
それは紛れもなく、死者のためのものではなく、残された者のための儀式だった。
その後何十年と続く祭事や墓参りも、自分の心を整理するために行うことに違いない。
私は、親父が大切に葬られてゆく一部始終を目の当たりにすることで、確かに救われた。
その意味で、宗教がこれまで何千年もの歳月を経て受け継がれてきたことの理由と必要性を、私は認めざるを得なかった。