自由の制限について

 

 自由主義社会において、国家が、国民の行動を強制することが許されるのか許されないのか、或いは、許されるとすれば、どこまで許されるのかについて、この度の新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、各国の対応に差が出ている。

 我が国の対応は、おそらく最も緩い、あくまでもお願いベースの要請である。当然要請だから、それに応じるか応じないかは個々の判断に委ねられ、その責任は個々が引き受けることとなる。自由と責任はワンセットだからだ。

 しかし、自由主義社会だからといって、誰もが好き勝手に行動して良い訳ではない。何故なら、自分にとっての自由は、他者にとっての自由を奪うことになる場合があるからであり、更に言えば、自分にとっての自由は、他者の自由の犠牲の上に成り立っているからである。

 そのために、例え自由主義社会であっても、それを調整するための社会全体のルールとして法令が定められているのであり、それによって個々の自由は、その法令に抵触しない範囲内に、既に制限されているのである。

 いま問題になっているのは、予め想定されていなかった、つまりルールとして定めていなかった事態に直面しているからであり、それは本来、その国の国民全体の自由を確保するために社会全体のルールとして定めるべきものなのだから、そこは国の主導で、可能であれば早急に法令を定めて、必要と認められる範囲内で国民の行動を強制することも、やむを得なかったのではないだろうか。

 それは国にしかできないことなのだから、怖じ気づくところではない。

 それが国民全体にとって最善であると考えて決断するのなら、どんな批判に晒されてもはね除けることができるだろう。

 それがリーダーシップというものだと私は思っている。