学校の9月入学を行わない理由について

 

 学校の9月入学制度の導入が見送られたそうである。

 ある一部の関係者の意見をそのまま採用して「拙速には行わない」こととしたらしいが、また意味がよくわからない。

 それに限らず、国の制度は全国民を動かすことになるのだから、その決定を拙速に行うべきでないのは当然の話である。しかしタイミングを逸してもならない。こんな言葉は無いかもしれないが、「巧速に行う」ことが常に政府に求められているのは言うまでもないことだと思う。しかし、これまでさんざん「拙遅」を繰り返し、そうかと思えば今やる必要性の全くないことをやろうとするところを考えると、向いている方向が国民とは全く違うようだ。

 そして、政府にとって都合の良い他者の意見をそのまま国政に持ち込むやり方しかできないのも相変わらずである。この国の意思決定は、例え他者の意見を参考にしたとしても、それを自らの考えに落とし込んで、自らの意思として、それに従って判断することもできない。だから、出来ない理由(出来ないと言っている他者の意見)ばかりを探して、今必要なことを押し進めることができない。何かを右から左にただ動かす。将来に先送りにする。要するに何もしていないに等しいのだ。

 そのような稚拙なやり方なら誰にだってできるし、この政府である必要性も無い。この国は、そのようなことしかできない政府によって、そのように運営されてきたのだと考えると、これまでの残念な運営に納得してしまうとともに、恐ろしいとさえ感じてしまう。

 とは言え、その残念な政府に将来を託してしまったのも私たちである。それをしっかりと肝に命じ、政治に対して関心を持って常に注視し、次の選挙に臨まなければなるまい。

 この政府の最大の功績は、多くの国民の目を政治に向けさせたことにあるのだとすれば、それを無駄にしてはならない。