これまでも、確かにひどかった。
でも、そこにはまだ人間らしさがあった。
そこにはまだ、誠実さがあった。
必要悪のようなものが垣間見え、仕方ないとも思えた。
周囲に暴走を止める者も居た。
現状に比べたら、どれも立派だった。
まだ、見過ごせる範囲内だった。
今はどうだろうか。
そんなことが許されていいのか。
そんなことがまかり通っていいのか。
目や耳を疑うようなことが、次から次へと起こされる。
その一つ一つが大問題なのに、それが多すぎて、真相が明かされないまま、誰も、何も責任をとらないまま握りつぶされ、流れていった。
誰も止めようとしない。
誰も止めさせることができない。
性根から腐りきっている。
思えば始めからそうだった。
誰かが起こしたムーブメントに、なりふり構わず便乗しようとする節操の無さは、今も昔も変わらない。
誰かが考えたビジョンを、さも自分の考えであるかの如く声高らかに振りかざす姿は、痛々しいほど滑稽だった。
その言葉からは、何の志も、何の信念も、何の力も感じられない。
何も響かないのは、その言葉が自らの意志ではないからだ。
要するに空っぽなのだ。
自分は何もせず、あなたが何もしないから必死に頑張っている人がいて、その頑張りを引き合いに出し、頑張ってくれている人が居るのだから皆も頑張ろうと、自宅のソファーで寛ぎながら、のほほんと旗を振る。
いったい何のつもりなのだろうか。
命がけで部下を守るべき人が、部下が命がけで戦っているのに、何もしないどころか、安全な場所で寛いでいる映像を流したりする。
いったいどんな神経をしているのだろうか。
恥を知れと思う。
わかっている人はあきれ返っている。
それでも、まだ多くの支持を集めていることに、絶望する。
私が知る、ある組織の話である。