徳を積むとは

 

 少し前、職場で管理者用の研修を受講する機会があった。

 その研修内容は、管理者とはどう在るべきかについて研修用のビデオを視た後に、グループ討論して発表するというものであった。

 管理者は、その資質があるから管理者になるのであり、人に教わるものなどとは思いもしなかった私は、どんな内容なのか興味があった。確かに私の知る限り、管理者の資格があると思えた上司は一握りで、残る大半はクズ いや、残念な方々だった。

 その意味で、管理者研修と銘打ってわざわざ行うからには得るべきものがあるかもしれないという期待を込めて受講した。

 

 しかし、その期待は裏切られた。

 前半は管理者としての心得や在るべき姿をビデオで見せ、ありきたりの討論が展開された後、結局は人間性なのだから、それを磨くために徳を積めと講師は締め括った。

 なんじゃそれ いや、やはりそこに尽きるのであり、それは人に教わることでは無いのだと再確認した。

 人間性が欠如している者が、研修を受けたからといって、それを手に入れることは絶対にできない。

 何故なら、人間性を向上させるためにいくら徳を積もうとしたところで、「人間性を向上させる」という見返りを少しでも期待した時点で、それが頭を過っただけでも、その行いは徳ではなくなるからだ。

 徳とは、何の目的もなく、何の見返りも求めず、誰に見られるでもなく、誰に知られるでもなく、徳を積もうという意識さえ無く行われる善行だとするなら、それを研修すること自体がナンセンスなのだ。

 そのような無意味な研修はやめて、管理者になるべき者を管理者にするための、管理者に対する研修をやったらどうだろうか。

 そうすれば、この組織も少しはマシになるかもしれない。